北海道食文化研究会とは
設立趣旨
我々が生活する北海道には、日本における他の地域とは些か異なった食文化が存在します。
北海道固有の食文化の原点は、北海道内で数百年に渡り食され、伝えられてきたアイヌの人々の料理です。鮭や鹿などを使った「オハウ」という汁物、サヨと呼ばれる粥、ラタシケプという野草の煮物や和え物、そして干し肉や干し魚などです。
そこに江戸中期より松前や函館を中心に、日本各地より移住した人々の、それぞれの出身地域の食文化が持ち込まれました。また、明治に入り政府の北海道開拓の方針で欧米の技術ノウハウが導入され、農業では酪農が導入されました。それに伴い、乳や牛肉を使った料理法の導入により、次第に洋風の食文化が定着してきました。その中核を担ったのが札幌農学校〈北海道大学〉でした。
その後、明治の日清戦争を境に中国との交流も盛んとなり、北海道に中国料理も現れました。後に札幌ラーメンとして開花していきます。1972年に札幌オリンピックが開催され、札幌や道内各地に次々とホテルが建設されました。どのホテルも競ってフランス料理を中心とした洋風料理を提供し、食の洋風化が進みました。
一方食材に関しては、北海道は四方を豊かな漁場に囲まれ、豊富な海の幸に恵まれ、且つ、広大で肥沃な大地では野菜や豆類も豊富に収穫されています。さらに、明治の時代に、政府の方針で札幌農学校を起点に進められた農業振興策は大きく成長し、乳製品や食肉、ビールやワイン、日本酒なども全国に出荷されています。今や北海道は日本の食糧生産基地として広く認知されています。
この様な歴史を踏まえ、北海道大学の研究者と、北の料理人が一堂に会し、食について共に考え、科学的な分析を加えながら、北海道の食の歴史と、食を取り巻く環境を再認識し、我々北海道の食文化と調理技術、食の近未来を改めて模索してみようというのが本会設立の趣旨です。
北海道食文化研究会の活動を通して、食に関連する産学が強い絆で結ばれ、様々な形で食に関わる人々の交流が進み、北海道の観光産業の活性化や新北海道料理の開発、次世代への食文化の継承などに役立つことが出来れば幸いです。
北海道固有の食文化の原点は、北海道内で数百年に渡り食され、伝えられてきたアイヌの人々の料理です。鮭や鹿などを使った「オハウ」という汁物、サヨと呼ばれる粥、ラタシケプという野草の煮物や和え物、そして干し肉や干し魚などです。
そこに江戸中期より松前や函館を中心に、日本各地より移住した人々の、それぞれの出身地域の食文化が持ち込まれました。また、明治に入り政府の北海道開拓の方針で欧米の技術ノウハウが導入され、農業では酪農が導入されました。それに伴い、乳や牛肉を使った料理法の導入により、次第に洋風の食文化が定着してきました。その中核を担ったのが札幌農学校〈北海道大学〉でした。
その後、明治の日清戦争を境に中国との交流も盛んとなり、北海道に中国料理も現れました。後に札幌ラーメンとして開花していきます。1972年に札幌オリンピックが開催され、札幌や道内各地に次々とホテルが建設されました。どのホテルも競ってフランス料理を中心とした洋風料理を提供し、食の洋風化が進みました。
一方食材に関しては、北海道は四方を豊かな漁場に囲まれ、豊富な海の幸に恵まれ、且つ、広大で肥沃な大地では野菜や豆類も豊富に収穫されています。さらに、明治の時代に、政府の方針で札幌農学校を起点に進められた農業振興策は大きく成長し、乳製品や食肉、ビールやワイン、日本酒なども全国に出荷されています。今や北海道は日本の食糧生産基地として広く認知されています。
この様な歴史を踏まえ、北海道大学の研究者と、北の料理人が一堂に会し、食について共に考え、科学的な分析を加えながら、北海道の食の歴史と、食を取り巻く環境を再認識し、我々北海道の食文化と調理技術、食の近未来を改めて模索してみようというのが本会設立の趣旨です。
北海道食文化研究会の活動を通して、食に関連する産学が強い絆で結ばれ、様々な形で食に関わる人々の交流が進み、北海道の観光産業の活性化や新北海道料理の開発、次世代への食文化の継承などに役立つことが出来れば幸いです。